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2007年8月20日 (月)

言葉の風景

瞼を閉じてその言葉の情景を浮かべてみる。

今日見た某タイムス紙。

本題は

「切り口の違いは学びあい尊重しあおう」

です。

その中に日本の大自然が育てた日本の言葉の文化を例としてあげていた。

この言葉を読むと情景が自然と湧き上がる。

桜や梅は「散る」

椿は「落ちる」

牡丹は「くずれる」

萩は「こぼれる」

うん、本当にそんな感じ。

ここからは新聞とは関係無い私の思いです。

それぞれの花や散り方を知っていれば目を瞑っても分かる。

一つ一つが結びつかなかったらどうだろうか。

散るってどんな感じ?

落ちるってどう言う事?

くずれる?何故?

こぼれる、って溢れるの?

そんな言葉だけでも子どもとの会話の中にあれば、実際その風景を目の前にしなくても、きっと子どもは頭の中で創造して行くでしょう。

そして「萩」のこぼれる様を初めて見たときに、自分の想像とどうだったかなどの小さな喜びがあるかも知れない。

私は小さい時に「桐一葉」と言う言葉を家族の会話の中で聞いた。

この一言は「桐と言う葉がどうした、それはどう言う事か」まで語っています。

桐の葉ってどんな葉かまだ知らなかった時。
何?って質問しても「歳時記読め」としか言わない父。
私は素直じゃ無かったから「じゃ、いい」って。

数年後、さだまさしの『飛び梅『晩鐘』と言う歌詞の中にも出て来て、本棚にあった岩波書店の俳諧歳時記を手に取り、さだまさしの歌詞を追ってみた。

さだまさしが俳句の季語をかなり使っていた時期かな。

そこでようやく意味が分かったけれど、本物を見た事が無い。

初めてその桐一葉を目にした時は、とても豪快なものを感じた。

後ろで起こった事に驚いて思わず振り返りました。

それはまさに「桐一葉」の情景。

それと同時に、残念ながらさだまさしの歌の中の「桐一葉」のイメージとのズレを感じる。

言葉の情景は誰にでも自然に目と言葉と頭の中で繋がって、当たり前に感じている。

たとえ見た事が無くても言葉で想像し、事の様を言葉にした事が無くても情景は頭の中にある。

さだまさしの『飛び梅』『晩鐘』と言う曲は、私が歌詞を理解出来ていなかったせいもあると思うし、私が感じたズレはその豪快さに「驚いた」から、なかなか歌詞に結びつかなかったと思う。

切り口違いは必然的に生まれたもの。


「真理は一つ、切り口違いで争わぬ」

今日の「切り口違い・・・」の締めの言葉でふと思い出した事、書いて見ました。

訂正8/25

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